昭和45年5月23日 月例祭
(途中から)…あるもなきもわが心。おかげのあるもなきもわが心と。どういう心におかげがあるか。頂けるか。和賀心がどのような状態の時におかげは受けるもんであるかと。私は思いますのに、心があの、安らいだ時。心に一つの安定感が持てた時、私はおかげは受けるもんだと思います。
それを難しく申しますと、いわゆる私の心が和賀心であって、これはもう最高です。ね、和らぎ、しかも心の中に賀び、和らぎ賀ぶ心が和賀心。けれども今日私が申しておりますのは、そのように例えば難しいことではない。いわゆるわが心、自分の心がどのような状態の時に、おかげを受ける。おかげはわが心にある。
そのわが心とは、自分の心という意味。和らぎ賀ぶ心という意味じゃないですね。自分の心にあると。その自分の心がならどのような状態の時に、おかげを受けるかというと。心が安らいだ時。ね、それをお道では、和らぎ賀ぶ心。和賀心とこういうわけですし。又、全ての宗教が、究極ここのところを極めようとするのが、安心であります。
いわゆる仏教では、それは大安心と申しますね。大安心の心と。金光様のご信心では、私は、和らぎ賀ぶ心だとこう思うですね。和らぎ賀ぶ心。不安はない心配はない、といったような、ただあるものは賀びだけだと。いうようなその心。
ね、だからそういう心はもういわば最高の、いうならば目指しである。ね、いうなら人生の一番重大事と言われる生きる死ぬるという事。ね、私共が死に望んだ時、本当に死に際にも、お礼を申せと仰るほどに、死に際にもお礼を申されるような心の状態。そりゃ素晴らしいですね。
例えば、七十年、八十年も長生きをする人があります。もっと沢山長生きをする人もあります。ね、八十なら八十で亡くなります時に、八十年間天地の間にお住まいを頂かせて頂いて、ご守護の中に今日寿命を真っ当させて頂くという事がありがたいことだと。
ね、今日を境に、あの世に誕生させてもらうんだと、そういう例えば賀びでです、賀びを持って、お礼が申し上げれるような心をね、常日頃つくっていこう。常日頃そういう心を目指して、どのような場合でもお礼の申される心。どのような場合でも有り難うございますと言えれる心。そういう心。
「生きても死んでも天と地はわが住みかと思え」と仰せられるほどしの、大変なことが自分の心の中に頂ける。それを信じられる。生きても死にても天と地はわが住みかと思え。生きても死んでも、天と地はわが住みか、いわゆる、この世あの世を通して、この天地の親神様のおかげ、お恵みを受けなければ、ね、生きておっても死んでおっても立ち行かんのである。
もう死んだらそれまでだと、いったらもうそこに、宗教はないというてもいいのです。ん、実を言うたら、生きておる間よりも、死んでおる間の方が、いわゆる永劫という事なのですから。本当は大事なことなんです。
それを生きとるうちにです、あの世でも安心の御霊としてのおかげを頂けれるように、お互い安心のいくような信心をさせてもろうて、安心を目指してお互い信心の稽古をさえてもらう。
その安心を最近では和賀心、和賀心というておる。和らぎ賀ぶ心を目指して、ね、全ての事柄の中から、そこに焦点をおいて、おかげを頂いていこうというのである。
あんたこの頃熱心にご信心が出来ますですねーっち。はー、気休めですたいち。という人があった。けれども、私共の過去の信心を思うてみると、確かに気休めだったと思うね。まぁ例えば、こういう事じゃいけんぞと、私は要約気付いたのは終戦、そして引き上げて帰って途端の難儀に直面した時にです、今までの信心がどんなにつまらない信心であったかという事に気付いた。
何十年間という間は、気休めの信心であった。いわゆる気を休める信心であった。その時、その時の。自分な金光様のご信心を頂いておるから、神様が守っておって下さるとこう思うておった。いよいよの時には金光様といや助けて頂ける、というような漠然とした、いわゆる気休めな信心であった。
この気休めな信心な人がどのくらい多いか分からんけれども、この気休めな信心が、しかしおかげを受けるんです。ね、私は、えー、これでもやっぱり半年間兵隊に、(最後?)まいりましたがね。
もう今日はいよいよ難しいという時。もう両方からどんどん、その小銃がそれこそ雨あられる。その中を、その帰ってこなけれならんのですからね。もう足はガタガタ、その、その時に、私共ひきいいて行って下さっておった方が、擲弾筒が炸裂したためにですね、もう真っ暗(?)なんですよ。
あー、そん時にもう私はおかげ頂いておったと思うんですね。私がその弾薬の、その(なんやくしゅ?)じゃった。それで、私がその、擲弾筒の中に弾をこう入らなきゃならない。ところがこりゃやっぱり、素人じゃ出来んもんですから、その上等兵の、若い兵隊さんがですね、もう大坪お前じゃダメじゃから俺にやれというて、そのそれを、と、私のを取って、それこからその、擲弾筒を撃たれる弾を入れて、そして後ろから私をですね、私の( ? )側におると危なかぞ、というてこう私は一間か一間半ぐらいひっぱったと途端でしたよ、その擲弾筒が炸裂しましたのが、弾が向こうにいかずにですね、逆さまに入れたかなんか、あぁいう事が万に一つあるそうですよやっぱ。
その場で、その炸裂したんですね。(はー、だもん?)ですからね、もうそれは、もう本当に、もう生きた心地がないというようなこと。もう何とか、かんとかいいますけれども、皆もう逃げちらかしておらんとです。そして、真っ暗、もう高粱畑の中ですからね。誰が何処におるやら分からんとです、そのやられた人だけがですね、もうその、お、やられたー!というわけですよね。
だから、その殺してくれっていうけん、殺してくれ!殺してくれ!ていうてその、いうんです。こりゃまぁ私も(こうしたら?)2、3人要約そこにおった奴どんがその集まりましてね、ところがもうあなた、ちょっと当たってみるところが手がないですもん。ちょっと、こう顔辺に当たったところはもう(てん?)でもう、それこそ、すいかを割ったような感じなんですよ。
それでもう殺してくれ!殺してくれ!というとをですね。まぁ傷は浅いですよぐらいなこというちからですね、本当気休めですよ。しかしやっぱ思わしらずそげんいうてから。て、その3人か4人の者がですね、その人をおんぶして、鉄道線路まで出たんです。
そしたら、まぁ皆がこうやって集まって参りましたが、その真っ暗するところで擲弾筒が炸裂したもんですから、はーあそこに日本兵がおるという事は分かったもんですから、もうどんどんそこへ集中して撃ってくるんですよね。
もうその次の駅までいかなきゃならん。ね、その時の、その合言葉が「山」と「川」でした。ですからその真っ暗する中からですね、そのずっと、まぁ交替で、まぁ何分おきぐらいか覚えませんけれど、その殺してくれ!殺してくれ!というその、兵隊さんをおんぶしてですね、移り変わりに行くんですよ。
そして、その向こうの方から、その、はー、何かおこったなぁというので、迎いに来てくれておるわけです。もうその時の、その気持ちというたらですね、その向こうからきよるとが敵かもしれんとですから、それでこちらが「山」ちゅうて、向こうが「川」というた時の、その嬉しかったこと、今でも忘れられません。
そして、その時思うた。もう今日はいよいよ全滅だなぁと思うたです。ところがですね、私だけはです、心の底からね、いや私だけは助かる。私だけは助かる、という心が湧いてくるんですよ。不思議に。
もう足はカタカタ、カタカタ、カタ震えよるとですよ。もうそれは、もう震わんてんなんてんじゃない(しらごつ?)と思うですね。もう(とんても?)足は、それが皆それ(言うてるよ?)もう足はガタガタ、ガタガタ、ガタ震えよる。ん。までおかげ頂いてから、無事にね、その帰らせて頂いたことがある。
そういう時でもですね、やはりただ気休め的な信心ではあったけれどもです、自分だけは助かる。今日は皆やられるな、けれども自分だけは助かるといったようなものがですね、湧いてくるんですよ。
こりゃ金光様のご信心しよっとには、もういよいよん時にはね、あの確かにそれがあるです。ん。だから気休めでもいい。おかげを受けられることが分かるでしょうが。ね。
今日は東京から、双葉寿司から手紙がまいりました。先先の、あのお月次祭の時にお話しましたかね。そのお父さんが今、出張中でおられませんところに、税務署がその何人も(色々?)やってきて、あれからもうお店だけじゃなくて、住宅の方まで、全部しら、調べ上げて、お父さんの手箱ん中のもんまで全部持っていってしまった。
さぁ息子さん気がちょっと小さいもんですから、ご飯がいけん、それからもう。さぁどうしようか。それから翌日電話をかけてまいりました。それからあの電話を、私そのことを受けさせて頂いておる時に、★頂くのが八の字を、次々と漢字の八の字を頂きますから、おかげ頂くなぁと思うて、まぁそれでも一生懸命心配なることはあれや、これじゃというてその、お届けをしております。
ね、そして、今度の18日の日に、又見えるそう、見えるというて帰られましたから、どうぞ宜しく、あはー、私が今頂くのが八の字。又税務署がくるというのが18日。月次祭の日でもあると同時に、ここでね、八の字がついとるから、これはもう「すまこ」「すまこ」さんちいうですから、「すまこ」さん心配いらんばい。電話で。おかげ頂くよち。
そうでしょうかち、いや私が今ね、八の字を頂いたから、もう末、かえって末広がりのおかげ頂くよっち。ね、お父さんにそげんいうときなさい。主人に。もうおかげ頂きました、安心しました、というてその、まぁ電話をきりました。
したら今日手紙がまいりましたのにね、もうそれこそ、もうご飯もいけんごと心配しておた、晩は眠れんという主人がですね、それから眠れるようになり、ご飯が食べられるようになりました。
ね、それから、まぁ段々日にちが経って、そのもう十八日がくるという、何日か前です、今日の手紙に詳しく書いてあります。あそこのお寿司を食べにみえられる、あちらは偉い方ばっかりみえますからね。えー、あの、今、名前は申し上げられませんけれども、まぁその、今度、○○大神になられた、大神さんがおられるんです。お得意さんの中に。その方が、そのお寿司食べにみえられてから、そのことを話た。
それなら俺が電話かけてやろうちいうてから、電話かけてそれっきり。おかげ、そういうおかげを頂いたというて、それこそ、それをこの、いよいよいけないものを持っていかれとったから、もういよいよ、もう覚悟しておった、しかもお父さんもおられないうちだから、もう心配でたまらなかった。
お父さんが帰ってきて、それは良かったねちいうちから、喜ばれたけれども、よかったねじゃ済まされん。お父さん、これもおかげ頂いたというて、まぁ親父の手紙が今日まいっております。
ね、いかにこの安らぐ心がおかげを受けるかという事が分かるでしょう。ね、なら、あ、「すまこ」さんのご主人の○○さんといいますが、えー、そう信心があるわけではない。こちらの家内の里であるところの鳥栖の方へ帰った時には、毎日家内と、家内と一緒に日参してくるぐらいなこと。
まぁ金光様の信心ちゃ有り難いなぁとぼんやり分かるぐらいなこと。それも、お父さん心配せんでいいといわっしゃった、八の字を頂きなさった、その中から、かえって末広がりのおかげを頂くと仰ってから、お父さん心配せんでいいち。心が安らいだ。
さぁ心がね、不安で不安でたまらなかったり、心配でたまらなかったり、胸がドキドキするごとあったら、ご飯もいけん、晩も眠られない。それがね、今度は、あらゆる、おかげでないことに繋がるのですよ。
「信心のある者とない者は、親のある子とない子と違う」と仰るが、そういうところが有り難いですね。信心が分からんでも、そりゃ気休め的な信心であっても、そうでしょうが、皆さんでも、毎日日参するわけでもない、毎日修行するわけでもない。それこそ(あまいの星?)のように参ってきても、心配なことがあってお願をさせて頂く。ね、おかげを頂くとです、そこには何とはなしに神様が安心し、安心せよと言うて下さらんばかりにですね、その、その周辺におあかげを下さる。いうなら八の字が繋がって頂くように、ね、私が。
そこんところにですね、おかげを頂けれる道が開けてくるんですよ。だから信心とはね、私は、まぁ究極は和賀心であり、又は大安心が目指しなのですけれども、まぁ気休めぐらいなところから信心を始めたが良いです。又皆がそうです。ね、それから、段々自分の信心、(いかに?)よって安心の度合いというものが、心の安らぐ程度というものが段々変わってくる。ね。
そして、どのようなことがあっても、それこそ揺るぎもしないで済むほどしの安心のおかげが段々頂けてくるようになる。勿論おかげはそれにとものうてあかぬけしてくることは勿論であります。
ね、昨日は菊栄会の東さんが、何じゃったか、(ぜん、ぜんえん?)です、何じゃったけね、体積。体積のこの適切手術を昨日受けました。おか、その一緒に盲腸の手術も一緒にさせてもらった。
あー、こんなに大きな風にして、あたし、私よりかおおきかごとしとるばってん、もう気分はこーまかですもん。もうそれけんもう、お届けをして先生が手術せんでよかちいいなさるなら、それを期待しとったごたる風です。
そしたらもう手術したがよかろうち言われたもんじゃけんぐらりしてから、それから、病、病院でその、まぁ一週間ぐらいは、その手術をするためにですね、色々(容受?)がある。まぁ不安で不安でたまらんわけです。
ところがですね、そういう不安でたまらない中にもですね、神様が、こげんも神様が守っておるじゃないか、心配はいらんぞと言うて下さらんばかりにおかげを下さることが次々続いてきたわけです。
毎日、お母さんと家内が参ってくるんです。もうおとうちゃんが臆病ですから、やっぱ手術せにゃいかんじゃろうかね、まいっぺんお伺いしえくれちいうちから申しましてな。
ね、それがね、始めからね、おそらく私なら手術はしなかったでしょう。けれども、どう、手術したがよいだろうか、悪かだろうか、というから、そりゃ手術したがよかろうと私がいうただけの事。
それだけのものが出来ていない者がしよったら可笑しい。いけない。おかげ頂ききらん。ね、そこで私が手術したがよかろう、さぁ言われたら親先生も大体医者にかかるとはあんまり好かっしゃらんけん、もう手術はするなと言われると思うてお伺いしたところが、あんに相違してから、ね、手術をせろじゃった。
ところがですね、手術をするために保証人が二人いるんですよ。ところが1人はあったけれども、1人がない。そういよるところ、( ? )後ろから肩を叩く人がある。と(見た?)ところがですね、中学校時代に、東さんが中学校時代に熱心に、あの参ってきよりましたよね、椛目の時代に。
はー、もう雪の日でも自転車で参ってきたりしよりました、あの当時。そん時に一緒にその東さんの信心についてきておった、山本という、そし、その後医大にまいりましてね、お医者さんになって、そこの病院のね、えー、耳鼻科の何ですかね、そこの、耳鼻科の、いわば対象ですたいね。をしておることが分かりました。
どうしてお前はち、いや実はこんなわけで手術。そんなら俺、俺がなってやろうというてですね、それこそ心配するなというて、まぁ山本君、山本ち言いましたが、山本君がそう言うて下さった。
もう立派なよか先生になっとる。私も、えー、その、あー、大学時代までぐらいまでは参ってよりました。で最近は、(音も沙汰もない?)と思いよりましたら、その東さんも十年ぶりに会うたちいうわけです。
それが、計らずのその自分が入院しておる、病院の科は違うけれどもですね、その耳鼻科の先生をしておったという事。ね、もうそれだけではない、それこそですね、神様のご守護を受けとるなぁといわにゃおられれんような、毎日おかげを頂いておりますちいうて、あーその、母親と、家内が参ってきてお届けをするんです。
ですから、これだけお父さん、あの神様が守っておって下さっとる中に手術をして頂くとじゃけん、安心してよかですよち、そうね、ちいうちから、おかげを頂いて、その日も、何回も電話かけてきました。
今日はもう何時から始まります。いよいよかかる時という時に、今から手術台に上がるという時には又電話をかけて来ました。あの位何時も熱心になるといいですばってんね、それがさぁ、これが安らがんでしょうが、だからその、それを電話をかけるたんびに私の声を聞くたんびに安らぐち。ね、そして、おかげを頂いた。手術が済んだのと直ぐ電話をかけてまいりまして、無事におかげを頂いたち、又電話かかってまりりましたけれども、これなんかもそうです、安らぐ心におかげがあるのです。
またそういう時に安らげれるという事が有り難いでしょうが。ね、信心というのはね、お願をさせて頂いた、親先生がどげんいいなさったか。親先生がどげな顔してござったか。この辺のもう大体(こうしょう?)な、その人達は、私の顔色で判断するごたる風ですもんね、皆が。今日は先生がニコニコしちゃったけん、おかげを頂くじゃろうち。今日親先生がぶーと腹けちゃったけん、これは修行の一つもせにゃ出来んというごたる風でですね、そりゃもう確かにそうですよ。ん、それでねやはり、その心を安らぐことの為に信心する。
それが段々段々おかげを頂かせていただいて、その安らぎが、ね、安心と変わって行き。賀びと変わって行き。ね、どのようなことの中にあっても、神様のご守護の中にあるんだという、いわゆる、神我と共にあるという、心持ちが開けてくるのございます。
ね、私がこの石井信司君の、お母さんがまだ椛目時代に、あのそうそうのことでした。ある心配ことで久留米にまいりますという、私はその時丁度、お昼からでしたか、下がってから、あの椛目のこちらがもと柿畑でしたよね、東側が、皆さん知っておられる方もありあましょう。
そして、柿畑のしたに、内のつかい井戸の水がございました。低い一間一間ぐらいなところにみずがるというので、その上に、柿の葉がこう生い茂っておる、なかなか風情のある、庭、あの井戸でした。
私はそこんところで進んでおった。その柿の木陰で、そこへ、石井さんが参ってみえる。そしてそのお届けがあるんです、それで私が石井さんに申しました、さぁちょっとあんたまぁちょとちっとこっち来てごらんなさいというて、井戸の周囲に二人がこう集まって、ね、例えば井戸なら私が( ? )に一緒にこうして、ね、もうそれこそ、井戸の中に顔をこう思っていきますと、もうそのままありありと自分の姿が映る。
一間ぐらいの低い水ですからね、もうそれこそこ鏡のようにしております。ちょいとほら石井さんみてごらん、とこう二人が底を覗くと二人の顔がそこにはっきり映る。おかげというものはこんなもんなんだ。
ね、自分の心が平生である、安らいでおる。これにおかげが映るんだけれども、おかげは願えば必ず下さるのだけれども、心が乱れておるから、そのおかげが崩れるんだと。ね、今日私はお願をさせて頂くからそのことは心配せずに、いってごらんおかげになるからと、というてその実際にですね、実際のその、姿を見て、ご理解を頂いて、安心致しましたというて、久留米に参り勿論おかげになりました。
おかげ、そんなもんです。自分の姿がずっとこうその水鏡に自分の姿がそのまま映るようなもの。その時に私ともが、こうやって覗きよる時ですね、上から木の葉が、あのそとっと一つ落ちた。落ちたら、もう私とものその姿が映っておるのがね、こう波紋を書いて、それがこうゆらゆらと崩れるところを頂いた。
ほーれみてごらん。ちょっと心に、ね不安な、いわば波紋が出来るとね、もうこのようにおかげが崩れるもんだ。信心しておかげを受けるということはね、こういう事なんだ。あの人は仏様のような人じゃ。神様のような人じゃというても、次々難儀なことがおこってくると、どうしたことであろうかというようなことが世間にはあろうがと。信心しておかげを受けるのは又別物じゃと仰る。
ね、ですか例えばその水がです、例えばほんなら、あー、流しの水であってもいいんですよ。ね、私共の、それこそ、ぷんぷん臭いのするようなものかもしれません。にごり果てたものかもしれません。けれどもそれが平生になる時です。いわゆる信心しよって、あげなことでよかじゃろうかというような人もやっぱありますよ。
ね、そりゃ色々ありますよ。ね、ありますけれどもね、信心しておかげを受けるという事は、み教えを頂く、お参りをする修行をさせて頂くという事によって、心に安心が生まれてくる。心が平生になってくる。ですからこれはにごっておっても、その人は例え悪人であっても、ね、信心によってここに平生心が生まれる時に、おかげというものは映ずるのです。
清いところに、魚が住まないというように、どんなにあの人は、まぁその(せいひ?)よくありますよね、聖人君子といわれた人の中には。ね、清らかな心の人がある。美しい心の人がある。ところがね、不安と( ? )心配というものは、こりゃ別なんです。
どんなに心が清らかであっても、例えばこれが谷の水のようにこう、乱れておっては、手のひらを持っていっても、手のひらの陰すらが映らないでしょうが。それと同じこと。信心はね、だから、泥水のような人でも、たんぼ水のような人でも、それが平生に一度なる時に、そこには映ずるのが陰である。それがおかげなの。
ね、そして信心をさせて頂いて、段々臭いのするような、ぷんぷんするごたる水であったり、ちょっと混ぜたらもう下から汚い物が湧いてくるような水であったり、ね、そういう事では自分自身が助からない。
ね、そういう事であっては、おかげにならん、という事が段々教えを鏡にして、信心を進めて行くところから、分からせて頂く、そこからいよいよ本当な信心ていうかね、本格的な信心が始められるわけです。
私共の、例えば二十年前の信心は、いうならば気休め信心。それでもやはりおかげは受けてきた。ね、けれどもです、自分自身の例えば浅ましさというかね、自分自身の汚さというものが段々、自分の正体が分からせて頂くようになったらです、そこんところをとり、に取り組んで、そこんところを磨きもしよう、改まりもしようとして、おかげを頂いてくる時にです、その綺麗な水が段々、いわば平生になって行くのですから、これはね、人に例えば薬水としてでも与えられるほどしのおかげになってくる、という事でございます。ね。
そこにね、私共が、信心させて頂いての本当のいわば生き甲斐、信心させて頂く者の生き甲斐というのは、私の病気が治ればよいと、私が、一人が繁盛していけば良いというようなことではなくて、ね、その私が助かったそのことがです、ね、今朝からのご理解の中にありましたように、はー信心ちゃありがたか、ありがたかていいながらです、あなたの周囲に本当に有り難い、潤いというものがもしないならばね、あなたの有り難いとはほんなもんじゃなかっち。
ね、有り難いというものはね、周囲にまでそれは潤うていくものだ。というて、ここの石浦の、じゃない指出の久保山さんと、その合楽食堂の中村さんの例を持って私は話させて頂いたんですよ。
ね、あの、おかげの泉が、もう四回出ますか。たんべんに沢山買うて帰るですね、中村さんは。私はどうして、あんな沢山持っていきよるじゃろうかと思いよったら、あの、お客さんに売るのです。
えー、あそこに置いとくとおばしゃんこりゃなんのち、こりゃあの有り難いことが書いてあるからち、こうやってこう、開いてみる。ほうなかなかあんたよかごつ書いちゃるじゃんの。だから、これは五十円じゃけん買わんのちゅうごたる風で、(?)。
ほれでもう沢山、毎月毎月それを売られるわけですよね。そすと今度おばしゃん、こりゃ偉い難しいこと書いちゃるが、どげなこつのちいうちから、そのたずねげくる。そすとさー、なかなか一遍にそん返事は出来んけれども、その朝のご理解ば話して聞けすると、その人が訪ねよることにぴしゃっとあうとに先生、この頃不思議でたまりませんていうとります。
ここんところはこげな風に、こげなん(ええごつ?)のちいうちから。この頃からも、ね、それこそ金光様のご信心を頂いてね、天地のご恩徳聞かせていただきゃ、大地を汚すことは出来ません。汚されません。ところが、そこの食堂の、前当たりは、前が森でもありましょう。ですから、お便所がそこにあるのにも関わらず、前、あ、その来てから、小便までいきよる、便所にいくかとおもえや、ほんな表ん口で(じはっと?)まるげなもん。
もうそれが今まではもう当り前のようであった。ところがね、ね、そのたんべんに神様何も分からん氏子が、ご地内を汚しております、相済みません、相済みませんと口でいうたっちゃきかん。そげんとばあんただん( ? )あるじゃんの、ちうたっちゃ、どうあるのちいうちから(丸見え?)。
今まで(まるつけとる?)もんじゃけんね、ん、それからそのことのお届けがあったんです。ここん対して、神様に対して相済まん。そこで私がね、えー、そのシナ語で書いてあった。立小便するべからし、ちう、いう事もいうならシナ語で書いてあった。
ならそれをシナ語で書きますとね、君子自重ということになる。北京当たりにまいりますと、わーとその、もう壁が多いです。直ぐだから壁で皆が立小便するんです。だからそこには、必ず書いちゃるです、小便するごたっ時には、君子自重と書いてある。
ね、あなたはしんしですから、ここで立小便なんかなさっちゃいけませんよ、という意味なんです。ね、でそれをその、小便まるところにこうやって、今度張る時は、小便の、これは面白い、何て。( ? )妙なもんがはっちゃるち。それけん、あんたどんがそこで小便ばまるけん、私がちゃんと神様にお願いするけん張っとるたい。
そこでまた、はるるばのち(笑い)どげなこつのっち。はー(もうが?)あのね、合楽の先生がね、ようそれを、その、ご理解ちいわっしゃる。ご理解ちゃなんちいう事になる。というところから話をする。
金光様のご信心は天地の大恩を説かれる。ご恩徳を説かれる。いわゆる拝ませて頂く対象が天地そのままなのだ。その拝ませて頂く対象、そこをです、例えば大小便で汚したり、汚いもので汚すといったようなことはあっても忍びない、出来ない。
それで、あんたどんがいくら言うたっちゃいう事聞かんけん、私は神様にお願をして、お願させてったら、親先生がこうやって、これは大体シナの言葉だげなが、ね、これでは皆さん、ここに小便はしてはいけません。あんた方はしんしでしょうがという風に書いてあるげなというてですね、いう、とおかげでこの頃段々小便まる奴が少なくなって来た。
そんなわけでこの頃おばちゃんが偉い変わったことばっかり言うち思いよったら、だい、こんこんさんに参りよるばいの、ちいうごたる風でです、とにかくこれば読んでみなさい、これ読んでみなさいで、売る。
最近中村さんが、申しますのにですね、今までどうして腹かきよったじゃろうかちうことです、最近は。もう全然腹立てたらバカらしかじゃなくて、もう腹立てんことが有り難いことになってきたんです。
ね、そして、人に信心の話をさせて頂くという事が有り難くなってくる。もう丸きりあんたは、いながら家に、家でお導きが出来たり、布教させて頂いておるようなことね、ていうて今日(?)話たことでした。ね、本当に有り難いというものはそのようなもの。
ここの石浦から、あの郵便局に勤めておいでられる久保山さん達のご兄弟が(みえる?)本家と分家と、あー、熱心に参ってみえられます。家族あげて信心されます、久保山さんのほうですね。
お父さんがまだ参ってきません。子供だけ皆参ってきます。毎朝日参さして。ところがです、昨日一昨日でした。朝お届けに、み、あ、昨日でした。お届けされますのに。そのご主人がね、奥さんに捕まえてです、本家の方のいわゆる兄嫁さんですかね、だから姉しゃま、姉しゃまとこう言われるわけです。
もう最近、その姉しゃまが変わっちゃったばさらかちいうて、感心されたそうです。ね、やっぱ信心なせにゃ出来んばい、参らにゃ出来んばいというて、この頃、あの主人がいうてくれます。今朝も、さぁお前はよ参らなきゃ遅うなるぞというて、起こしてもらいました、とこういう。
私は信心しよるけん、こうといわでもです、もういう事、する事がね、そこにその信心のない、その人達にまで、そのように潤うていきよるという事。ね、そりゃもう本当におかげ受けられます。そのかわりに。ん、そりゃもう本当におかげをうけられます。
ね、例えば先日から、孫が学校でもうあんまり咳するから、あの、返された。そして、学問もせにゃんばってん、体の用事ばして下さいちいうて、その先生から言い戻しがあった。
それから直ぐお届けに見えられました。それっきり、御神米頂かせてきり咳が出らんようになった。明くる日からまた学校へ務めております。今日はそのお礼、あの嫁行っておられるところの孫さんですから、その方のお礼お届けが今朝からございました。
ところが先生、私の咳だけは一向に治りません。けれども思います。もう咳をするたんべんに、私が心の中の悪を、こうして神様出させて頂きよると思うと、咳をすることが有り難かちいわっしゃる。自分のことはそうです。孫のことはそしておかげ頂く。
信心を進めて行く人達の上に、神様がそのような働きを下さる事も感じられます。ね、その中から。
先ほど佐田さんがお届けをされました。皆さんもご承知のように、それこそ一家をあげて毎朝毎朝一家五人、四人の家族を上げて朝お参りがなります。ご用も一生懸命出来られます、お導きも出来られます。まぁいうなら、まぁ本当に合楽でぴかいち的な、まぁ信心を、まぁいうならばされておられるわけです。
ところがです、今日帰らせて頂きまして、今朝のご理解を元にしてです、本当にこれは、これはもう、ご主人の佐田さんが、お話をなさる。もうどんなに考えても、こげな、俺んところにこげな、こんくらいな信心でおかげ頂くはずなかち。ん。これは神様が神の権威にかけて、一家中をあげて信心しよるから、一生懸命参ってくるから、神の権威にかけて下さりよるおかげだから、これに答える信心はどげんさせて頂くかというて、家族中の者のなりあい、練りあいましたとこういう。
ね、そのことが、ひか、いわば信心ちゃね、段々その先ほども申しますように、心が安らぐという、そのようなね、そのような熱心な、熱烈なまでの信心しよっても、ここに、こげなことじゃ相済まんと心に引っ掛かり出したわけです。
ね、いわゆる心が安定じゃない。これは一家中の者がもういっちょ考え直して、新たな信心を一つ考えつかなければいけないぞ、というて、お話をいたしておりますと、本当、その今日一日話されたことをここにお届けされるんです。
ね、ですから、このいうなら、今日私が申します。まぁ気休みから、何とはなしに心が、お取り次ぎを頂いたら安らいだ。安らいだ心がです、ね、おかげを受けることが分かった。しかもせっかく安らいでおかげを、心が頂くのであるおかげをするのであるから、ね、こういう例えば汚い自分というものが発見できたら、自分というものを見極めた時にです、自分の汚さが分かった時にです、それを清めていこう、改めていこうという事が信心だと分かったが、からにはです、そのことに取り組ませて頂くところからね、その安定も、又安心もです、ね、全然変わった意味においての安心。ね、いわゆる大安心に近付いていっているわけです、しかも限りがない。
ね、さきほどあの、渕上君がここでお届けをしてる。がく、中学生です。もうとにかく全然信心がないのですけどもね、その寮のおばさんが池田さんですから、あー、熱心に参ってみる。お、おばさんの話を聞いて、参ってきたのが初めて。それから次々と新たな友達を連れてくる。
先日からも、あのここの、吉井、私が糖尿病の時にお世話になりました、あー、先生で、何やったけ、ん、「にしみ?」先生ですね。にしみ先生のところの、息子が参って来とった。たら今日、又参ってきとりますから、先日は、私はおらんで、あの失礼した、というたら、いやあれは僕の弟でござい、あの兄さんちいう。
(なこ?)今日は弟さんの方ば連れて参ってきてるわけです、(たすけっしまえて?)。学校の帰りの(おなこ?)でご縁を頂いておる。ね、ので、僕達は、その先生の信心は分かるまいから、若い先生の方の話の方が分かるだろうと。
大体お参りしてきてどういう事を感じるかというたら、先生この頃、ちっと恐くなりましたちこういう。渕上君が。どういう事が恐くなったかというとね、とにかくこのまま信心していきよったら、自分がもう空しゅうなって、なくなってしまうんじゃないだろうかと。
いうなら、我情我欲が放れてしもうて、何にせんでよかごと済んでしまうなら、もうこれどうするじゃろうかと思うごとなりました。というくらいに熱心に取り組んでいる。このままいったら我情我欲がなくなりだんせんじゃろうか。すと今からせ、あれもしたいこれもしたいと思いよったことも、もうせんで済む出来んごとなってくるなら、こりゃ、ほんに人生の楽しみというものはないのじゃないだろうか、というように不安を感じますという。
私はそれを聞いてびっくりしました。いかにそのことにです、なら和賀心なら、和賀心に取り組んでおるかという事が分かりますじゃないですか。だからそげなことは、恐らく一生かかったっちゃ、それは取れはせんけん大丈夫よ、というたもののですね、あの、おー、私は言い様がなかったら、★そのことを神様お届けさせてもらいよったら、綺麗なですね、紫檀の台に、まぁ丁度抹茶茶碗ぐらいな茶碗に、綺麗な水をですね、こう乗せてあるところを、ご心眼に頂いたんです。
ね、先ほどから申しますように、私共の心の中の、その水というものがです、それはにごっとっても、くさっておっても、平生になりゃおかげが映るんだと、おかげだけならば。けれども本当の和賀心の徳を受けよう、あの世までも持っていける徳を受けようということになるときにです、これは清まらなきゃ、今、それこそただ綺麗な水だけではない、それが浄化された上にも浄化されて。上流水のようにです、ね、病人に与えてもよいほどしの、素晴らしいこれが水になるという事が、信心の目指しなのだから。
それが、今年のスローガンでるところの、世のお役に立たせて頂こうというのは、そういう事なのだから。私が一人有り難くなるという事が、自分の周囲にです、周辺に、その有り難さが染み透っていくほどしのものに、ならなければならんというのが信心なのだから。
ね、だから、この例えば気休めの信心が段々安心、又は安心感とでも申しましょうか、安全感とでも言おうか。そういうものが本格的な安心を目指していくところにです、信心が限りなく、改められる事に、又は磨かれていく事にです、それこそ、ただの水だけではない、それが上流されて。ね、濾過に濾過されて、それが病人に与えてもよいほどしの素晴らしい水になっていくという事が願いである、目的なのだ。そこに私共の信心させて頂くものの生きがいがあるのだ。と私共が分からせて頂く信心がね、必要になってくるわけでございます。
ね、今日は、安らぎ。ね、まぁいうならば、初めの間は気休め。ね、その気休め信心から、それでもおかげが受けられる事実を、あの双葉寿司の話やらね、私の兵隊時代の話やらで申しましたように。ね、それが段々本格的な信心になって、それこそ生きても死んでも天と地はわが住みかと思えれるほどしの信心。
死ぬる時にも死に際に、ね、神様のお礼が申し上げれるほどしの信心なんです。いわゆる姿勢の安心。もう人間の一番の大事な、重大事のね、ここのところをです、私共が一度は、必ずそこに出会わなければならないのですから。
その時に生きたくない、死にたくないといったようなものではなくて、五十年生きてきたなら五十年間のことが心からお礼が申し上げれるほどしの信心をです、頂いてこそ、その信心があの世にも持っていて。この世にも残しておけるということになってくるのでございますから、ね。
やはり佐田さんじゃないけれども、これほどしの信心をさせて頂いておっても、こんなことじゃ相済まんぞと、いよいよ信心を一段と進めて、本格的な、信心なら本格派とでも申しましょうか。そういう信心にお互いがなっていかなければならんと思うのでございます。どうぞ。
(続きかな?)御用ばっかりさせて頂いてから、ご飯頂いとらんとですよち。栄四郎が断食しよるけんでね。その伴奏しよるんです。というてその家内が申しますんです。有り難いなぁ、まだ少年少女会の、まぁ幹部ではありますけれども、が、そのようにして、本気で信心に取り組んでいきよるという事が有り難いじゃないですかね。どうぞ。
梶原 佳行